怒涛の3日間

月曜日に、祖母が亡くなりました。92歳の大往生でした。

天寿を全うしたとは言えど、ちょっと微妙な気分になるのは何故だろうかなんて思います。と言うのも、祖母はここ10年ほど寝たきりで施設で過ごしていました。それ以前に、私が中学生ぐらいの頃から認知症の症状があって、家を建ててからしばらくの間一緒に住んでいたんですが、結構苦労が絶えないようなところがありました。施設に入ってからは私はあまり顔を見に行く事はしなかったのですが、6年ぐらい前からは肺炎をこじらせて以降は胃ろうをしていて、意識もなくて子供の顔すらわからないような状態になっていました。胃ろうって胃にチューブを入れてそこへ直接栄養をぶっこんでいくのです。年老いていくとちょっとした食べ物でも飲み込む力が衰えてしまい食べ物などが肺に入って誤嚥性肺炎を起こしてしまう事が多くなるので、それを防ぐために胃ろうをしたりするんですが、胃ろうで使う栄養剤は結構カロリー高めのもので入れていると気持ち悪いぐらいお肌つやっつやになったりするんですが。そして、胃ろうをやっててもいずれ体力の限界が来てしまえば胃ろうも出来なくなってしまうわけですね。その様子を見ていて、自分の親でもこんなに体中管だらけで記憶もわけわからん状態になってもどうなんだろうなぁ…なんて思う事が多々ありました。

そう言えば、去年の年末から体調がよくないという話になっていて、いつかは逝ってしまうんだろうなぁ…と言うある程度の覚悟は出来ていました。だけど、その日は突然やって来ました。その月曜日の早朝に施設から連絡があり、家にいて母といろいろな準備をしていたら祖母の亡骸が帰ってきました。夏ごろに施設に初めて行ったときに見た苦しそうな表情とは別に、穏やかな表情になっていたような感じがありました。家に帰ってきた直後はまだ温かかったみたいです。でも、それから泣いてる暇はないぐらいあわただしくて、一昨日は通夜、昨日は葬儀・告別式のあっという間の3日間でした。泣いてる暇なんてないって思っていたけど、昨日の朝の出棺の時に棺の中にコーヒーバッグとか入れて着物をかぶせて花を置いて、ふたを閉めて石で釘を打つ時、そして火葬場について最後の別れをする時は思わずグッとこみ上げてくるものがありました。母もその時は涙が溢れていました。シアトル生まれで幼少期までシアトルで過ごしていたこともあって、朝はパンとコーヒー派だった祖母でした。シアトル生まれなので、棺の中にスタバのドリップコーヒーでも入れてやればよかったのかな…なんて事を葬儀が終わってから思いました。