ハワイPart3

年をまたぎましたが、ハワイ記録第3弾でございます。

1日たおれてビッグアイランド


ワイ島の事をビッグアイランドと言います。ハワイ諸島最南端にして最大、そして最も新しい島です。
旅行期間中、1日だけビッグアイランドをざっくり回るというオプショナルツアーに参加しました。日の出前にワイキキのホテルを出発してホノルル国際空港へ1時間弱でバスに揺られ、ホノルル空港からハワイアン航空の飛行機で1時間かけてビッグアイランドに到着し、朝からコナ→サウスポイント(アメリカ最南端)→キラウェア火山国立公園周辺→ヒロと島の南半分を回って、夕方にヒロの空港からホノルルへハワイアン航空で戻って夜にホテル着、と言う長い1日でした。
ワイ島の西側にあるカイルア・コナの街はビッグアイランドの観光中心地、東側のヒロの街は古都の街並みを残す感じがしました。広いハワイ島を1日で回るなんてね〜なんてほとんど車の中に揺られっぱなしだったんだけど、まぁそれでも良かったわけですよ。と言うのも、オプショナルツアーの運転手兼ガイドのおばちゃんが日本語ペラペラで(たぶん日系ハーフの方なんだと思う)、しかも気さくで話が面白くて。開口一番「ハワイ島は何にもないよ〜」ってところから始まりました。バスの中ではまずハワイ島の歴史に始まり、人々の生活の様子とか何食ってるのかとかいろいろな話をしてくださいました。で、「日本って本当に異常な国よね〜週に5日も働くなんてさ〜」とか、もう旦那さんと「週5日働くっておかしいんですか」と二人でゲラゲラ笑いながら話聞いてた。で、バスと言ってもワゴンタイプの小さなバスで、オプショナルツアー参加者も少なかったと言っても他の参加していたおばさんがハワイに毎年通っているって言う旅慣れた方だったので本当に助かりました。

まず、コナ空港を出発したらカイルア・コナの街並みを車の中から見学して→コナコーヒーのコーヒープラントのお店を見学して買い物&トイレ休憩→最南端近くのパンショップで大きすぎるサンドイッチで昼食→黒砂海岸と言う海岸を軽く散策→キラウェア火山の国立公園に突入して博物館と近くの火口を見学→そして海岸の最も溶岩が迫った道路までひた走り→道路の上を溶岩が塞がったぎりぎりの場所まで車で走ってその先へ歩く→そしてまた山を回ってヒロの街へ→ヒロ市内のお菓子ショップで買い物→ヒロ国際空港から飛行機でホノルルへ、って言う1日で本当に大変でした。黒砂海岸ではウミガメを見つけて近くまで接近できないのですがとりあえず写真を撮った。
まぁ、キラウェア火山は今もなお火山活動が活発なのですが、ここ数年で溶岩が落ちてきたポイントまで行ったら溶岩って凄いな…って感じがしました。途中スコール程度に雨が降ったしハワイと言っても山の方は寒かったのですが、大自然の前に自分って小さいな、って実感しました。
ヒロはノスタルジックな街並みだったんだけど、「雨が多くて観光に向いてないからホテルがどんどん閉鎖しちゃってるのよ〜(BYガイドさん)」って言うわけで、そのヒロと言う街で寄ったビッグアイランド・キャンディーズと言うお菓子ブランドがありまして、「ハワイの子供たちは、このブランドの箱を見るだけでキャー!って言うよ」「ここのチョコレートは上品な味なの(BYガイドのおばちゃん)」その工場兼ショップに立ち寄ったのですが、やっぱり美味しかった!試食もたくさん置いてあったし、お店に入るなりいきなり試食をくれたし、お店のスタッフにも何人か日本語が話せる人がいたみたいです。旦那さんはそこで会社用のお土産を買っていきました。このブランドはホノルルではアラモアナ・センター内でしか手に入らないらしいですが、でもおススメ。
http://ameblo.jp/jtb-hawaii/entry-11618463616.html
まぁ、そんなハワイ島1日体験ツアーも楽しく過ごしてからは、あとは楽しかったですね…楽しい気分にさせてくれたガイド兼運転手のおばちゃんに感謝。

パンケーキ


日本では空前絶後のパンケーキブームが到来していますが、まぁパンケーキと言ったらハワイだという事で、アラモアナセンター近くにある「エッグスン・シングス」と言うお店で食べてきました。日本語で書かれたメニュー表もあったのでわかりやすかったのと、ウェイターの兄ちゃんが面白かったです。ふわっふわのパンケーキ!って思って勢いよく食べていたんだけど、3枚中2枚目までは好調に進んだんだけど3枚目はキツかったです。たっぷりのパンケーキの上にホイップクリームがてんこ盛りに乗ってまして、そのクリームも濃厚でした。でも、ハワイ島のガイドのおばちゃん曰く「日本人しか食べないよね〜卵料理って」ってオイ!!(笑)

この木なんの木気になる木〜♪


も、見てきましたけど日本人しかいなかった(笑)。この木なんの木はもともと個人の庭園だったんだけど、CMで流れるようになってからは日中のみ無料開放しているらしいです。木の下は水たまりになってて入れなかった。

ハワイに出雲大社

 
ハワイに出雲大社があるんですよ…出雲大社分祀みたいな所なんですけど、明治時代に日本から移って来た移民の方々が神社も持ってきたそうなのですが、ちょうど行ったら清掃していて、おそらくクリスマス前だったので年末年始の初詣シーズンに向けて大掃除をしていたようです。でもって、中にある社務所に入ったらモヤさまに登場していたそうで、さまぁ〜ずと大江アナのサイン入りTシャツが飾られてた!お守りを買いました。

と言う感じで、ひとまずハワイ記録はここまでにしようかな。書いたら本当にキリがないわ。

2014箱根駅伝を振り返る

いやー、東洋大学がぶっちぎるとは思わなかったな…しかも歴代2位の10時間52分台って一昨年の記録に次ぐ歴代2位の大記録で、一昨年総合優勝した時は「きっとこの記録は末代まで破られないんだろうな」と思ってたんだけど、わずか3年でその記録に迫るタイムを自らたたき出すってどういう事だって感じもしなくはないんですが。でも、今回の東洋大学の圧勝の要因はやはり設楽兄弟の配置だったんだと思います。弟が3区で1位に立って以降、まさかお兄ちゃんが山登りって言うのが意外でした。そこで使うか!って感じで、でもチームを引っ張ってきた2人が重要な区間に配置された事が大当たりだったのかなぁ…って思わざるを得ないよね。
で、往路ゴールした時点では2位の駒澤大学とはそんなに差は開いてなかったんだけど、復路でゴールした時はもう4分以上の差が開いてたってのはやっぱり復路新記録って言うのも凄かった。きっと駒大の学生駅伝3冠は来るなぁ、って思っていたんだけどいい意味で裏切られました。って言うか2位の駒大も11時間台を切る好タイムだったのに!うーん、今年はパッとしなかったけどやっぱり圧勝でしたね。という事で以下箇条書きで。

  • 2区で山梨学院大学のオムワンバ途中棄権は本当に残念でした。途中までは今年も絶好調だな!って思っていた矢先だったので、でも途中で足が止まって上田監督が出て来た時に「あぁ、これはもうダメかも」って思いました。
  • 学院は過去にも途中棄権という事があったのでこのオムワンバの故障以降、どんなに順位があがっても記録には反映されないんだな、って言うのはわかっていたので見ることに一生懸命になれなかった、って言うのがあるかもしれません。オムワンバは疲労骨折だったので、きっと背負うものも大きかったんだと思います。骨折を治して、また秋までに復活できればいいと思います。って言うか昨年末に都大路で優勝した付属高校の生徒が何人か大学に上がるらしいので、これからまた黄金時代がやって来るかもしれないですよ(ドヤァ
  • 早稲田は1区に大迫君を起用してたけど、あれはちょっとミスジャッジだったんじゃないかな…って感じがしました。序盤はぶっ飛ばしてて大迫半端ないって思ってたけど後半は失速していたので。
  • 青学のアンカーの子の笑顔がよかった。過去最高タイの順位。
  • トップが好成績すぎるほど後方のチームの繰り上げスタートが多くなってしまうのですが、今年は往路ゴールの時点で復路一斉スタートの学校が多く、さらには戸塚→鶴見あたりでの繰り上げスタートが増えてしまったために最後の最後まで順位がわかりづらかった。それはそれでいいのかもしれないけれど、シード争いなんかは見た目の順位とはまた違うのでなんかよくわかんなくなってました。あーでも、大東大が久々のシード獲得でしたね。
  • 箱根駅伝名物だった京急蒲田の踏切が、昨年から高架になってしまったのでちょっと味気ない感じがしたかな。
  • なので、蒲田に登場していた「で」→「ど」の看板を、今年は往路の塔ノ沢でしか発見できなかったのが残念。でも「○_○」のマークは遊行寺の坂や二宮で発見しました。

新年の所感

あけましておめでとうございます。
昨年は、個人的には大きな変化のあった1年でした。幸せな出来事もあれば不幸な出来事もありました。昨年の正月にはまさかここまで環境が変わるとは思いもよらず、新しい生活に一生懸命取り組んでいこうという所存であります。今までよりもより充実した日々を過ごしたい、そう思っていてもなかなか動き出すことができずもどかしい時がありますが、それでも前に進まなければという気持ちだけは持っていこうと思います。
生きることは時に辛く厳しいものです。幸せな出来事もあれば、辛い出来事もある。人生と言うのは、プラスとマイナスが一進一退の攻防を続けているようなものであり、一度進んだらもう引き返せない長い旅路を歩んでいるようなものでもあります。
時々、強烈に「死にたい」と思う時があります。それは、それまでの生活の方が良かったって思い苦しくなるからなのかもしれません。でも、「生きていかねば」って思う時もあります。生きていかねば。

続・ハワイ

前回の日記の続きですが、ここからは5泊7日間の中でも印象的だったものをポイントごとに書いていこうと思います。

冬のハワイ


12月のハワイは平均気温がだいたい25℃ぐらいだったでしょうか。日本との決定的な違いは湿気が少なくてカラッとした暑さだったことでしょうか。カラッとしててすっごく過ごしやすかった。ハワイは10月から2月ぐらいまで雨季だそうですが、ほとんど雨は降らなかったですよ。降ってもスコール程度だったなぁ。って言うか私は旦那さんからもよく言われるのですが晴れ女なので(コラ)、ハワイ島にも1日行ってたけどハワイ島でもほとんどスコール程度だったなぁ。よく晴れていたので1日目は紫外線がすごくて二の腕がすっごくヒリヒリしていたのですが、二日目以降は紫外線対策もばっちりできました。
しかし、常夏の島と言っても12月なのでやっぱり日没を過ぎると肌寒かったです。日の出は朝6時台、日没は夕方5時台。夕方のマジックアワーと呼ばれる時間帯の夕暮れは本当にきれいでした。でも、夜になるとやっぱり肌寒いので長袖の上着は必須です。一週間ほど寒い日本を離れて暖かいハワイで過ごしているとやっぱり気温感覚がずれてしまっていて、日本に帰ってきたら死ぬかと思うぐらい寒かった。成田に着いてからなんだこの寒さ!って思ったもの。雪も降ったらしいし。二日続けて朝起きたら寝汗すごかったです。

ショッピング事情


ロイヤル・ハワイアン・センターとアラモアナセンター内にはそれぞれにFOREVER21が入っていたりして、なんだこのショッピング街は!って感じでした。そして日本未進出のヴィクトリアズ・シークレットと言うランジェリーブランドのお店が凄かったですよ。アラモアナセンターは本当に巨大でした。1日でなんとか回りきったけど、頻繁にフロアマップを見てどこにお店があるかを何度も確認しました。アラモアナセンターではアバクロでTシャツを、アメリカンイーグルではデニシャツとニットを買いました。アバクロのショッピングバッグは凄いななんなんだろう…って感じでしたが、そしてアラモアナセンターには「Macy's」「Neiman Marcus」「NORDSTROM」と言う大きなデパートが入っており、またとんでもないところだな…って思わざるを得なかったです。って言うかアラモアナセンターは増床工事まっただ中で、再来年にはさらに広くなるみたいですよー!!
でも、私がお気に入りだったのは「ファイティング・イール」と言う地元デザイナーさんのブランドでした。ちょっとお値段したけどかわいかったですし、日本人スタッフの方もいらっしゃいました。私はそこで1日目の早々にエコバッグを買ったのですが、日本に帰ってきて同じものをイオンモール内のNew Styleで見つけた時はショックだった…_| ̄|○
ショッピングセンターも半分屋外みたいな感じでとても気持ち良かったです。そしていたるところにベンチが置いてあって休みたいと思った。不便だと思ったのはトイレが少ない。トイレがあったとしてもちょっと外れのところにあったりしていて、そしてウォシュレットがないというのはわかっていたんだけど、個室もつい立が中途半端な感じがしててこれでいいのか!?って思ったけど慣れました。でもトイレットペーパーの紙質が良かったです。そして便器のサイズもでかかったです。
で、来年にはワイキキのロイヤル・ハワイアン・センターの近くにH&Mが出店するらしいですよ。

ハワイでのスマホ事情


スマホ自体は使えなくはなかったですが、普通に使っていると海外ローミングが発生してえげつない値段になってしまうわけですよね。日本を発つ前に成田でドコモの海外LTE使い放題って言うのも1日1,500円ってなんだこの値段!って思ってました。
で、ワイキキ周辺ではWi-Fiが結構飛んでおりまして、私達が行ったH.I.Sの場合、ロイヤルハワイアンセンター内にあるラウンジ内や周辺でWi-Fi使い放題なんだけど指定されたパスワードを必ず入れないとならないと言った制約があったりして面倒です。そこで、現地法人Wi-Fiルーターを7日間借りました。ドコモの場合、ワイキキにも支店があってそこでもWi-Fiルーターを貸し出していたんだけど、通信容量に制限があるので動画とか再生するとすぐ制限がかかっちゃうみたいで、ドコモに比べると値段は高かったんだけど容量無制限のWi-Fiルーターを使いました。現地で借りて返却も帰国する時にホノルル国際空港の出国ゲートのところにある専用ボックスに投げればいいだけ、と言う簡単さでした。おかげで、現地のFMラジオでかかっていた曲って何だっけ?ってYouTubeで調べることができました。

…ま、今日はここまでにしておこうか。また続きは次回!

ハワイに行ってました

先週一週間ほど、ハネムーンでワイハに行ってました。
最初のうちははやく帰りたいって思っていたけど、5泊7日と言う日程で気が付いたらあっという間でした。ホテルの窓からはワイキキビーチとダイヤモンドヘッドを一望できました。で、泊まったのはこちら→http://www.hyattwaikiki.jp/

ハイアットリージェンシーにした決め手は…ヒルトンとどっちにしようか迷ったんだけど結局、ヒルトンは大きすぎる。ワイキキビーチにはヒルトンやハイアットの他にもシェラトンとかマリオットとかいろいろなラグジュアリーホテルブランドホテルが多数並んでいて、大きなホテルの低層部分にはショッピングゾーンもあってですね、一日中ホテル周辺をうろつくだけでも飽きない感じだったのですが、でも5泊もするわけでいろいろな場所に行っておりました。
 
クリスマス直前だったこともあり、ハワイはやっぱりクリスマス一色でした。南国で迎えるクリスマスって言うのもいいよね。店に入ればクリスマスソングが流れていて、ホテルとかお店とかいろんなところにクリスマスツリーやリースが飾られておりました。ちらっと見かける民家の玄関にもクリスマスリースが飾られていたり、何かしらイルミネーションが飾られていたり。写真左はロイヤル・ハワイアンセンターのエントランスにあった巨大ツリー、右の写真はワイキキの名門ホテル「モアナ・サーフライダー」のエントランス。写真は撮らなかったけど、DFSギャラリアとか様々なショッピングエリアもクリスマスムードでした。

で、ワイキキ周辺には高級ブランドショップが多数並んでおりましてですね…どんだけブランドショップあるねん!って感じで、どこで買っていいのかわかりませんでしたよ。アラモアナセンターにも行ったんだけどさ、そう言えばアラモアナセンターにも巨大なサンタ像が建っておりましたが(↑の写真)、アラモアナセンターにもロイヤル・ハワイアンセンターロイヤル・ハワイアンセンターにも他のエリアにもあるよこのブランド…って感じで、店がありすぎて迷った感じでした。ちなみに、ワイキキにはサブウェイやケンタッキーやマックもあったのですが、たぶん日本とは違うんだろうな…って思いつつ、でも日本のメニューの方がおいしそうだよね…って感じもして、そこらで食べることはしませんでした。

でも、モアナ・サーフライダーにローソンが入っていまして、行ったらローソンのプレミアムロールケーキが売ってた(笑)他にもおでんやおにぎりも置いてあったんですが、おにぎりはアメリカナイズされたおにぎりなんだけど、新潟コシヒカリを使用していてこれが美味しかったです。ひょっとしたらハワイで食べた食事の中で一番美味しかったかもしれない(コラ)。ちなみに日本みたいにきれいにラッピングされていたおにぎりではなく、レジ前に陳列されててそこで選ぶって感じだった。

また、ハワイには「ABC Stores」(ABCマートではない)と言うコンビニがありまして、特にワイキキには5メートルに一か所の間隔で並んでいて、ホテル内にもショッピングモール内と、とにかくいろんな場所にあったので非常に重宝しました。食べ物はもちろん、ちょっとした生活用品やビーチで使えるアイテムやオリジナルのお土産もあって、結局、1日2回以上は使ってました。店の規模によってはコーヒーが置いてあったりして。で、レジでは「レシートアツメテクダサーイ」ってお店の人に言われて、一定の金額を買ってレシートを出すと何かプレゼントが貰えるらしく、旦那さんがレシートを集めてマグカップを貰っておりました。

それにしても、ハワイは確かに日本人観光客が多くて現地にも日本語を話せる人(現地在住の日本人や日系の方など)がいっぱいいるけど、やっぱりアメリカだな…って感じることは多数ありました。最初は凄く違和感を感じたけど、でも帰国してからは「またいつか行きたいなぁ」って思うようになりました。最初に行ったときの反省を踏まえて、次はこうしたい…って思ってる。ちょっと長くなるのでまた後日にでも第二弾を。

結婚してからもうすぐ1週間

いやー、あっという間だったなぁ…
挙式2週間前ぐらいからマリッジブルーになり、今週に入ってから新居に移り住んでホームシックになり、さらには季節性情動障害?とか男性恐怖症?とかでかなり精神的にナーバスになっております。って言うか、今週は日中は実家に行って母と買い物をしたりと、結構忙しく過ごしておりまして、たぶん独身時代にはわからなかった両親のありがたみをひしひしと実感しております。この1週間、慣れないことばかりで本当に疲れました。ン10年間実家に暮らしていて家事もろくにやっていなかった私がだな、朝から洗濯したり掃除したり、夕方からは洗濯物を取り込んだり夕飯作ったりお風呂炊いたり…そんな生活慣れないわけがないですよね…旦那さんは一人暮らし経験があったのでまぁそれなりに知識もあるんだけど、でも旦那さんは帰りが遅いし土日は休めない。ただ、このナーバスな状態をどう乗り切るかって言ったらそうだな…これは、ブログのネタとして昇華させた方がいいのかな?と思い、旦那さんが仕事から帰宅するまでの間にPCに向かい記事をしたためております。とりあえず、先週の前撮りから挙式・披露宴までの思い出の数々を披露したいと思います。

衣装が凄かった

衣装はですね、挙式は神前でしたので白無垢と、披露宴に着たのは振袖+白ドレス+カラードレス(紫)の合計4点。チャペルで挙げるか神前にするかで迷ったんですが、ただ旦那さんがチャペル似合わない(コラ)と思ったので、神前にしました。でも、披露宴はドレスだけでも充分だったんじゃないかな…って感じもするぐらい、若干過酷な披露宴になりました。でもね、衣装は全然迷わなかった。白ドレスもカラードレスも5月ぐらいに行った最初の打ち合わせでほぼ決まりました。って言うか私のドレスよりも、母の着る黒い紋付の着物の方が迷いまして…あれこれ選んだけど父からダメ出しを喰らい、結局3回目ぐらいに決定した感じでした。

↑の写真のブーケは白ドレスの時のものです。生花なので重かったです。

超過酷な前撮り

披露宴2日前に前撮りをしたのですが、よくある結婚式の記念写真(スタジオで撮影するやつ)以外にも、当日の様子を収めたドキュメンタリー的なアルバムも作ったり、披露宴の最後に流す映像用の撮影もしたりしてですね、結局朝10時に入って終わったのが夕方6時。前撮りの日は台風の影響で屋外での撮影ができなかったり、不慣れな着物やドレスを着ていてあれこれ指示されて恥ずかしいポーズも要求されて…いやー本当に本当に本当に大変でした。だけど、自分が映っている写真や映像を見るのは恥ずかしくてまだ見れていません。

挙式について

挙式前に親族控室に入ったら、親戚の皆様が集まってて凄く感慨深かったものがあります。特に、何年も会ってなかったいとこのお姉ちゃん方が凄く喜んでくれてて…当然撮影ラッシュだったんですけど。白無垢着てたんで周囲があまりよく見えず、でもって汗だくになりました。本当にしんどかったです。

披露宴には

披露宴は夕方からでした。呼んだお客様は旦那さんの関係の方々が圧倒的に多くてですね、会社関係・友人をはじめ、無尽の方も呼んだりしていてそれはそれは盛り上がりました。って言うか、会社の方々がなんか盛り上がっておりました。入場するときはすっかり暗転している会場の中ですっごい照明を浴びながら入場したので周囲の状況が全くわからず。祝辞もいただいたのですが、いろいろ面白いお話をいただきました。
ドレスになってからは撮影タイムで、親戚から会社関係から、いろいろ撮られまくって本当にしんどかったです。食事する暇がないし、でもって披露宴の合間にはヒストリー映像とかいろいろな演出があったんだけど、私はお色直しの中座でそんなものも見れずでですね…でも、おおかたお褒めの言葉をいただきました。ヒストリー映像では結婚前の両親の写真から出すんですけど、その結婚前の母の写真を見た旦那さんが打ち合わせの段階で「天使が降りてきたようじゃん」って述べていたのが実際に司会の方のコメントに採用されておりまして、母はそれ以降、お酒を注ぎに行くたびに親戚から天使と呼ばれまくっていたみたいです。で、前撮りの段階から介添人の女性の方と、当日の様子を撮影するカメラマンさんが付いておりまして、特に介添人の女性の方からはドレスのさばき方を誉めてもらいました。旦那さんはお酒が飲めないのでそれはちょっと大変そうだったんだけど、でもまぁなんとかなりました。

個人的にグッと来たのは

披露宴のクライマックスで家族への手紙を読むシーンがあったのですが、手紙は挙式1週間前から考え出して完成させたのは挙式3日前ぐらいに。さすがに私は泣くんだろうな…と思ったけど全然泣けなかったです。私よりも横にいた旦那さんが号泣してた(笑)。そして、号泣する旦那さんを会社の上司の人が闘魂注入するってなんだこの場面は(笑)って感じになりましたけどね。いやーだけど、会社の方々があまりにも面白すぎてですね…なんなんだろう、このお調子者は…って感じがしましたですね。新婦側は涙をグッとこらえていたけど、新郎側はかなり号泣しておりました。

こうやってざっくり振り返ってみて、準備には半年かかったけど、1日は本当にあっという間だったなぁ…
でも、旦那さんが仕事から帰ってきて、夕飯を食べて、お風呂入ってからまどろんで、いろんな話をしながら寝て、朝起きてそれぞれ朝食を食べて、旦那さんは仕事に行くんだけど出かける前にハグってくれて、そして日中は実家と新居を往復する日々なんだけど、いつかは実家に毎日のようには行かなくなるのかな…そうやって新しい家族を築き上げる、そういう日々がこれから続いていくんだな…なんて事を思っています。とにかく幼い頃からのトラウマがあって男性が苦手で、結婚願望はあってもそこまで行けない20代半ば以降で、そんな頃からを比べるとまさかこんな展開になるとは思っていなかった自分に驚いています。今は体調のアップダウンが激しくて、精神的に苦しいんだけど幸せを感じている、そんな感じです。

ふと振り返ると、ブログを初めてもう10年目。始めた頃はまだ学生でしたがこんなにも自分の人生を詰め込まれていくとは思わなかったな…これからもよろしくお願いします。