シリーズ・東日本大震災から1年、それでも…VOL.1

1年経っちゃったのか。早かったなぁ。未曾有の大震災から、未だ復興への道筋が見えてこないことに対して「もう」1年経ってしまったのか。時代のスピードが速くて、「まだ」1年なのか…うーん、でも最近は急にこれで良かったのかと思うことがいろいろありますので、これから数回に分けて書いていこうと思います。第一回のテーマは「絆」について。

絆って、こんなに薄っぺらいものだったのか

震災以降、「東北との絆を深めたい」とか「日本人には絆と言う言葉がある」と言った感じで『絆』と言う言葉をよく見たり聞いたりしていました。この絆と言う文化は日本ならではだよなぁなんて思っていたのですが、しかし先週あたりからはこの『絆』と言うフレーズがあまりにも薄っぺらく感じるような出来事がありました。山梨の某保育園が福島から避難してきた園児の入園を断られていたというニュースです。
http://www.asahi.com/national/update/0302/TKY201203020761.html
山梨のとある保育園が福島からの避難児童の入園を拒否した件について、小菅信子さん(山梨学院大教授)からのコメント - Togetter
で、Togetterのまとめは私がトゥギャリましたけど、山日にはこの記事は一面ぐらいに出してほしかったなぁ…なんて思ったんですけど。
保育園側は「子供が福島から避難してきたことが分かった場合、他の保護者から原発に対する不安の声が出た場合、保育園として対処できない」との理由があったとの事です。さらには避難先の近くの公園で子供を遊ばせていた時にも福島から避難したのを理由に、遊ばせるのを自粛させたって言う話もある。で、入園を拒否されたという人は山梨県外で生活しているとの事ですが、結局のところ山梨を離れざるを得なかったんじゃないか…いや、それ以外にも理由はあったんだろうけど。このニュースを聞いたとき凄いショックでしたし、憤りを覚えました。これで絆なんて言えるのだろうか、って思わずにはいられなかった。福島から避難した人は子供が自由に遊べる環境を求めて遠く離れた山梨に避難してきたんだろうけど、そこであることないこと言われるとたまったもんじゃない。たぶん、そんな遊ばせるのを自粛するよういう人なんてほんの一部なんだろうけど、その一部の人の意見が多くの人々の感情を左右させてしまう。
でもって、このニュース以降、絆って言葉に対して凄くアレルギー的なものを感じてしまう。そんな、結局は絆なんて嘘っぱちじゃないかって。それは震災で出た廃棄物の広域処理問題についても思うんですけど、この件に関しては話が長くなりそうなので第二回以降にでも。