ミュージシャンと言う仕事は

宇多田ヒカル、来年からアーティスト活動休止 - 音楽ナタリー
もう随分前の話になるが、JAPANでのインタビューで『ミュージシャンは、普通の人が麻痺していい事や麻痺した方が健康な事を麻痺せずに感じ続けなくちゃいけない事が仕事なんじゃないのかな』と言う旨の話をしていたのを思いだした。ミュージシャン、特に自ら楽曲を手がけるシンガーソングライターは普段生活しているところから気付くイマジネーションをいくらでも膨らませていかないとならないんじゃないか、って考えると大変な事なんだよなぁ、と気付く。
そういえば高校生の頃からミュージシャンやってたんだもんなぁ、スポニチに宇多田をデビューから支えていたEMIの三宅さんってプロデューサーがコメントしてるのを一部抜粋しますが、

「15歳でデビューして一躍脚光を浴びたヒカルは、マクドナルドにも渋谷109にも行けなくなった。そして30歳が見えてきたいま、ふと自分と向き合った時、得たモノは大きかったけれど失ったモノも大きいことをあらためて感じたようです」

ワシが高校生の頃は音楽聴いたり部活やったり、お昼前に食堂に行ってパンを買いに行ったりとか、帰る途中で本屋に寄って立ち読みしたり(コラ)とかコンビニに寄って買い食い(バカ)したりとか…そういう生活をしていたけど、宇多田にはそういうことは出来なかったんだね。確か芸能界の人は電車に乗る事がないから切符を買ったりとか自動改札機の渡り方とかそういうことが一切出来ないっていう話もワイドショーで言ってたなぁ。やっぱりマックとかマルキューにも行けなくなったって言う話を聞いてせつなくなった。これも芸能で飯を食っている者の宿命って事なのかなぁ…音楽を通して周囲に自分のことを認知してもらって、自分の思いをいろんな人と共有してもらえるって言う事も喜びではあるけれど、自分を認知してもらう事で失うものはそれ以上なのかもしれない。だから人間性を求めたがるんですよね…大変だよねぇ。
ワシが好きな某バンドは2度も長期の活動休止をしているので休養宣言と言うのは慣れてますが、敢えて『活動を休みます』って言わないと次に戻ってこれる場所がないって言う心配もあるよね。5年経って戻ってきたら忘れられてたってこともあり得るんで。でもこの喪失感は大きいな。同級生だしますます日本の音楽シーンがつまらなくなってくる…
私は宇多田がデビューした頃にバカ売れしていて「なんだそんなもん」ってコケにしたけどよ、「FINAL DISTANCE」あたりから好きになって今に至るので最初のアルバムは持ってないんだ。買おうかな…